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カウンセラー プロフィール


公認心理師 登録番号 第33577号
本名 纐纈岳洋
(大岳龍昇(おおたけりゅうしょう)はカウンセラーネームになります)

 

公認心理師は厚生労働省認定の国家資格になります。
詳しくは厚生労働省のHPをご確認ください。

▼プロフィール

『心のヘルプケア;心理カウンセラー大岳龍昇(おおたけりゅうしょう)』

2010年にカウンセリング.roomを開業
年間400セッション うつ病・恋愛依存でお悩みの方を中心に12年間で980人以上のクライアントさんの悩みに向かい合い、カウンセリングを通して人生の幸せをサポートしてきています。

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うつ病の根幹であった父との葛藤もクリアにできて~ 穏やかな時間をいっしょにすごせることを感謝しています。
母ー70歳(古希)のお祝いにて

▼ 経歴

1994年 高知大学 人文学部 史学専修 卒業
東京都内の某デパートで販売・営業職として7年間勤務
東京都 公立中学校教員に転職
5年間勤務の後 うつ病になり3年間 休職
椎名ストレスケア研究所でカウンセラーとして勤務
2010年 2月10日. 大岳カウンセリング.room 開設
現在に至る

 

中学校教員として勤務しているときにうつ病を発症 ー 3年間抗うつ薬を飲み続けたが良くならず、2年間実家にてひきこもり生活をおくる。

「良くなりたい」との思いからネット・本・知り合いなど いろいろ探している中で

NLP心理療法に出逢い半年でうつ病から劇的に回復する。
>>NLP心理療法について詳しく知りたい方はこちらをクリック!!

 

NLP心理療法のカウンセリングを通して、人と関わりたいと思いながらも深層心理の根幹に【人が怖い】という思いを抱えていた自分に気付くことができました。

「他の人達と同じように仕事をできるようにならなければ、」と焦燥感と焦りでいっぱいいっぱいでしたが、

あたかもブレーキを踏みながらアクセルを踏んでいる状態・・・

本人は精神エネルギーをすり減らし疲労困憊しているが、

まわりから見たら「仕事は遅い ほとんど何もしているように見えない さぼって 甘えているだけ」という叱責と罵倒に病んでいきました。

自分自身の深層心理の深いところにある自己否定の感覚や人に対する恐怖~

ここに向き合い NLPカウンセリングを通して人生を楽に 幸せを感じられるようにサポートする心理カウンセラーになることを決意。

2010年2月、自身のカウンセリングルームをオープンし活動を始める。

 

大岳龍昇顔写真 大岳 龍昇
Ryusho Ootake
心理カウンセラー
・愛知県生まれ・公認心理師・中学校教諭 一種免許状 社会
・高等学校教諭 一種免許状 地歴
・オフィス後藤 認定
NLPマスター プラクティショナー
・椎名ストレスケア研究所 認定
上級NLPセラピスト
・RFTプラクティショナー 認定
・RFT基礎コース インストラクター 認定

私がNLP・RFT カウンセリングを通して実現していきたいことは次の4つ。

★自分自身がうつだったからうつの人によくなれることを伝えたい
★生きるのが苦しかったから、同じように苦しんでいる人が
 生きるのが 楽になるように 回復するように サポートしたい
★生き辛いと思っている人が活き活きとし、
自分自身の人生を生き始めるのを支援したい

★生きることの意味を求め、生きることの意味を
手に入れたいと思っている人とつながりたい

そしてうつから回復する過程で私は大きな気づきを得ました。
それは、

うつ病になったことには意味がある

人は自己治癒力=回復し前へすすもうとする生命力をもっている

自分を受け入れ、自分とつながることによってうつ病から回復する         

ということです。それはつまり、

『自分自身が自分の最良のセラピストになる』

ことを意味しています。
あなた自身があなたの最良のセラピストになるのです。

よくなりたい
自分の人生をとりもどしたい
笑顔で輝いて生きたい

そんな方達をサポートしています。

お客様の声・クライアント様の感想はこちらからご確認いただけます。

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鬱からの回復に向かって~休職からの社会復帰

休職してしばらく経ったころ  当時 東京に居た私は早起き心身医学研究所(うつ散歩療法)に通ってなんとか教員の仕事に復帰したいと焦燥感でいっぱいでした・・・

(良くならなかったなぁ)

そこで知り合ったうつ友達2~3人でお昼ご飯をいっしょに食べた後恵比寿から明治神宮まで歩くことがちょこちょこありました。

食欲もなかったから少ないランチを注文してぼそぼそと
あの薬はこうだ 
この薬はぜんぜん効かない
とか話をしていました。

当時は状態が最悪だったので歩くのも苦痛で苦しかったのですが、なんとか良くしたいという思いで朦朧としながら明治神宮までの道程を休み休み身体を動かしていました。

( みんな表情暗かったなー )

希望がない感じでした・・・

そのうちの一人とは今でも付き合いがあっていっしょに鬱をくぐり抜けた戦友といった感じになれたんですけれど。

教員への復帰を目指して足掻いていた東京での生活を手放し、完全に療養に専念するためアパートを引き払い実家にもどった私は2年間はひきこもりのような状態でした。

といっても家から出れないわけではなく、散歩やコンビニなどにはちょこ ちょこっと出ていました。

マンガ『ツレがうつになりまして~』を読んで~ ツレさんが神社への参拝をしていたのを知ってからは、真似をして神社参拝を目的に散歩を試みるようになりました。

あるとき弟が神社までの散歩に付き合ってくれましたが、私の歩みが相当に遅かったらしく

『早くは歩けんか…』

と話したことを覚えています。

身体が重い すぐ疲れて
足をひきずるように歩いていました。

ただ、歩くだけでもしんどかったな…

最近 元気になってきたクライアントさんが、嬉しそうに話してくれました。

『階段をトントンと駆け上がれるようになりました。

前は動くのも苦しくて身体が重くて…

最近は階段を駆け上がれる
そのことが嬉しくて
意味もなく上ったり下りたりしています♪』

そう

身体が重かった

両足をひきずるように歩いていたんだよね。。

今は身体が楽に動く  感謝です☆

鬱のはじまり

私はいつから状態が悪くなったのだろう
~鬱になっていったのだろう~

と振り返ってみると先ず思いつくのが中学3年生の夏休みです。

中学時代、水泳部だった私はプールでの競泳は好きではありませんでしたが、真面目なタイプだったのでけっこう一所懸命部活をしていました。

当時、私の中学校では(愛知県はどこでもそうだったのか)校則がめちゃめちゃ厳しく、男子生徒は丸刈りで部活は強制入部部活に行っていないのはヤンキーの不良生徒のみというような感じでした。

良い子を装っていた(?)私は、当たり前のように真面目に部活をやっていました。

とくだん速く泳げるほうではありませんでしたが、ちゃんと練習はしていたので体力はあったほうだと思います。

中学3年の夏休みの最後の大会が終わると部活への参加が免除されるようになりました。

【受験に集中しなさい】ということで部活動への参加は任意になったのです。

途端にパタっと部活に行かなくなりました

もともと好きではなかったのでしょう

そして、家でだらだらと過ごすばかりになっていきました・・・

受験のプレッシャーも感じていたのでしょう

勉強しなければいけない、でもやる気が起きない

という感じでよく横になっていました。

もう  ちょっと鬱っぽかったですね…

今思えば部活に出ているときは身体を動かさざる負えなかったのでアップタイムに出ていた。
~悩んでいる暇がなかった~

身体を動かしていたので血流も良かった

あと話下手ではありましたが、部活に行けばそれなりに同級生や後輩達との交流・コミュニケーションもあったのでメンタルを保てていたのでしょう

やはり、身体を動かすこととコミュニケーションは重要ですね。

夏休みは落ちていましたが、2学期は高校受験に取り組もうと気を引き締め直して、なんとか気分が持ちなおしました。

おそらく まだ、勉強がついていける 理解できるというレベルだったから持ちなおせたのだと思います。

ところが、高校に入ってからがガクンと落ちました

それはそれは暗い高校時代を過ごすことになりました・・・

暗~い高校時代。。。

中学3年夏休みの鬱々した状態をなんとか切り替えれた私は、目標にしていた地元の進学校にギリギリラインで合格できました。

地域一番校に合格してプライドが満たされたのも束の間

入学早々~ 一時間目の英語の授業(グラマー文法の授業でした)から内容が理解できないことに衝撃を受けました!!

中学ではそこそこ勉強ができるという自負がありましたが、高校の授業は得意だった国語・社会系もふくめほとんどが理解できませんでした。

学校の授業がわからないという苦痛を味わうとともに勉強ができることによって支えられていた私のペラペラのプライドはもろくも崩れさってしまいました…

高校では部活も何もやりたいものがなく、水泳部に入部したものの何となく部員の人達に馴染めずにすぐに行かなくなりました。

クラスで気の合う友達ができる訳でもなく、いじめられているとかではないけれど孤立した疎外感を常に感じていました。

特にキツかったのは文化祭とか修学旅行などのイベントです。

いっしょにまわる友達や班に入れてもらえる人達がいない…

自分がどこかに所属している

誰かとつながっている

感じがしなくて

どんどん学校へ行く気がなくなっていきました

二年生半ばから三年生になると共働きの両親が仕事に出かけた後に『体調が悪い』と仮病を偽りよく学校をさぼるようになり、家でだらだらと横になる時間が増えていきました。

その当時は分からなかったですが、実は仮病ではなく鬱病だったんですね・・・

大学受験のプレッシャー

学校を休むことが多くなり何もする気がしないためゴロゴロする時間が増えていきましたが、

そのためか大人になってからも赤点が重なり進級がヤバいという感じの夢や体育の出席時間が足りなくてあわや留年か!?という夢や出席日数、単位が足りなくて卒業できない〜 という夢をよくみました。。。

勉強は本当に進まなかったけど、大学に行くのは当たり前 と思っていました。

運が良かったのか 受験した私立大学は全て滑りましたが、一つだけ国立の高知大学が受かりました。

今思えば、あんな状態でよく受かったな

という感じですが…

プライドだけがやたら高かった私は、 「早稲田、慶應じゃなきゃヤダ!」 みたいな妄想を膨らませていました。

それに対しては父が、

『おまえは浪人に向かないからここで大学へ行っておいた方がいい』

と断言したことによって高知大学に進学することになりました。

当時は不満もありましたが、結果的にそれはとても良かったと思います。

浪人していたら勉強できず、完全なうつ状態になっていたものと推測します…

【何かプレッシャーがかかると状態が悪くなる】というパターンを繰り返していたのですが、

自分の好きなこと、楽しいと感じることに取り組めていないという在り方がこの状態を招くベースになっていたのでしょう。

大学時代はOK!

からくも高知大学に引っ掛った私は、『東京へ行きたかった』という思いを抱えながらも高知へ向かいました…

父の選定で住むところは大学の集団学生寮に決められました。

小綺麗なワンルームマンションで一人暮らしが希望だったのですが、あっさりと否定され薄汚れた二人部屋の男子寮に入寮しました。

しかし、この高知大学南瞑寮での集団生活で同じ年に入寮した同期生達と濃密なコミュニケーションを交わすことになりました☆

同期の寮生のほとんどは貧しく、イケてなく、女っ気もありませんでしたが、幸運なことに(?) イケていなかった私はそんな彼らととても相性が良く、それまでの20年の人生において初めて友人に恵まれた時期を過ごすことができました。

大学の広場で 寮の部屋や食堂・喫茶店や帯屋町の商店街で

常に人生とは何か
生きることの意味は 存在しているとはどういうことか

哲学的、思想的な議論やコミュニケーションを交わしていました~

いわゆる合コンやサークルのコンパなどとは縁のない普通の大学生の生活とはかなり異なった生活を送っていたと思います。。。

最近では大学で友達がなかなかできないということでメンタルが落ち込み、休学する学生さんが増えていたりしますが、相部屋の集団学生寮での生活はイヤがおうでもコミュニケーションを取らざるを得なかったのでそこが逆に良かったのでしょう。

この大学の4年間の生活はとても濃密でわたしの人生のベースになっています。

しかし、この濃密な4年間が大学を卒業して上京し、社会に出たときに大きな落差として苦労することにもなりました…

『汚れちまった悲しみに』

汚れっちまった悲しみに
今日も小雪の降りかかる

汚れっちまった悲しみに
今日も風さえ吹きすぎる

汚れっちまった悲しみは
小雪のかかってちぢこまる

汚れっちまった悲しみは
懈怠のうちに死を夢む

汚れっちまった悲しみに
なすところもなく日は暮れる……

(中原中也『山羊の歌』より)

大学生の頃わたしがもっとも影響を受けたNくんがよく口にしていた中原中也の詩です。

Nくんは詩人という生き方を僕らによく語って聞かせてくれました。

哲学をガンガンに学び自身も詩人のように生きようとしていたとても変わっていて 魅力的な友人でした。

その彼の講義 【汚れちまった悲しみ】

みんなで彼の話を聞いていたときに

【汚れちまった悲しみ】 とは

自分が汚れてしまったのが悲しいのか

悲しみが汚れてしまったのか

どっち?

という話になりました

Nくんは

【悲しみが汚れた】 のだと教えてくれました

誰かの悲しい出来事や思いを聞き

自分も悲しくなる  悲しいと感じる ・・・

しかし、

しばらくすると人はご飯を食べたり 談笑したりして悲しいと感じたそのことを忘れたりしている時間がある

そして、

そんな時間が増えていく

それはとても正常な心の働きであり

その働きがあるから人はまともでいられるのだけれど

詩人という人種はその悲しみをいつも抱えているのだ

という解説でした。

【汚れちまった悲しみ】

ある意味 Nくんも中也もものすごくメンタルを病んでいたんだろうか

そんなふうに感じる心は病んでいると言えるかもしれないけれど

だからこそ、

後世に残るような表現を

紡ぎ出すことができるのだとも言える

ゴッホも宮沢賢治もそうだったんだろうな

暗い話だと感じたりもしますが、わたしは今でもたまにこういう系の話をするのが好きです☆

大学のときは毎日こんな話ばっかりしていました(笑)

けっこう明るかったけどね社会人になってからと違って♪

社会人の人間関係~

バブルが崩壊して1つ上の先輩達から就職が厳しくなり、私の代も結構キツい就職活動を強いられましたが、運良く(?)私はデパートに入社することができました。1994年入社になります。

特にデパートで働きたかったわけでもなかったのですが、自己アピールをかなり膨らませての入社だったので後々凄く苦労することとなっていきます・・・

デパートに入社して社会人になると人間関係は一変しました~

まわりの人達 販売員の女のコであったり 先輩であったり 上司であったり そんな日々接する人達に、

『生きてる意味って … 』

みたいな感じを匂わせようものなら

「暗っ!」

という反応が返ってくるので本音を話す場が 人がいなくなってしまった感じでした・・・

みんな表面的な上っ面だけのコミュニケーションを無意味に交わしているように感じて

そんな関係に馴染めなくてもの凄く孤立した疎外感と離人感を感じて苦しくて仕方がありませんでした…

今思えばそのような表層的に思えるコミュニケーションにも深い意味があると思いますが当時は本当に馴染めなくて苦しかったです。

そう考えると現在、プライベートの場で

『仕事はカウンセラーをやってます』

と自己紹介すると たまに人から

「悩みや重い話を聞くのって大変じゃないですか?」

と言われることがありますが、

そう質問される方が思うような大変さを感じていない自分がいて

『そんなに大変でもないんだけどどうしてなのかな~? 』

と考えていたら

そう!

俺は重い話をするのが好きだからだ!!(笑)

という気付きがありました^^

悩んで 苦しんでいる

というのはそれだけ人生に真剣に向き合っていて

考えに考えているから 悩むのであって

表層的なコミュニケーションを得意とする人達(右脳タイプ)からすると

「 重い~ 、暗い~ 」

と言われるようなコミュニケーションがわたしにとっては濃密で意味のあるコミュニケーションだったのだと

そんな質問をしてもらったことによりあらためて理解ができました。

軽いコミュニケーションがだめで 重いコミュニケーションがいいとかは全然ないのですが、自分はそういうタイプなんだよなぁと妙に納得できて腑に落ちたという感じです。

身体がダルくてダルくて・・・

デパートで働いていた20代の頃~

仕事中に身体がダルくてダルくて仕方がないことがよくありました…

しんどくてトイレで5分、10分うずくまっていました。

早めに売場にもどらなければいけないので、なんとかもどってまた接客という感じでしたが、とにかく何もせず突っ立って待っているというのが苦痛で苦痛でたまりませんでした。

もちろん、イヤな仕事 好きじゃない仕事だったからというのもあったのでしょうが、当時ももう鬱だったのかもしれません 。。。

売場から外商~外回りの営業になっても身体がダルいことがよくありました…

よく営業車を止めてシートを倒してグッタリと横になっていました。

神社の駐車場の木陰とかに車を止めていました。公園横の道路脇も多かったですね。

東京都内担当の営業マンは一人一台営業車が与えられていなかったので、

車のないときは営業に行くふりをして山手線に乗り、シートに腰掛けグタっとしていました。山手線を一周まわるとだいたい一時間グタっとできました。

やはり、

もう鬱だったよなぁ…

職場で感じていた不安 ~将来への不安で病む~

鬱もそうですが、メンタルを病んでいく方の特徴として自分の将来をイメージして不安を高めていくという傾向が強いと感じます。

仕事をする中でこの業務をしていて10年後、20年後 自分は何か確固たるものが身についていてやっていけるのだろうか

職場の中で年齢的に上になったときに人に指導するようなことができるのだろうか

職場やまわりから必要とされる人材になっていれるだろうか

将来におけるネガティブなシュミレーションを頭の中で繰り返し、自分に重いダメージをどんどん与えていってしまいます。

私の場合だとデパートで働いていたときは 売り場であれば、

自分に売り場係長の職責がこなせるんだろうか

仕入れバイヤーのような業務ができるのだろうか

と不安になっていましたし、家庭外商という営業部に配属になってからは、

あと10年20年 へこたれずに毎年毎月売上予算をこなしていけるのだろうか

この先勤めていったら外商課長として課の担当員をまとめ売上予算を達成するということができるのだろうか

と怖くなって不安を高めていました。

教員になってしばらくは倍率の高い採用試験に合格した高揚感から不安を忘れていましたが、3年経った頃から

担任としてちゃんとやっていけるのだろうか

それなりの年齢になったときに、

学年主任なり生徒指導主任なり教務主任なりの男性教員が一人前としてまわりから期待される役割をこなしていけるのだろうか

という不安と恐怖がありました。それは、逆から見ればまわりから

あいつは役に立たない
あいつは使えない

と見られることへの恐怖と表裏一体だった気がします・・・

頭の中でそんなシュミレーション、不安をグルグルまわしてしまうことはメンタルを悪くする大きな要因だったと思いますが、

このような不安や焦りをいかに切り替えていくかが、メンタルの状態を健康に保つポイントになりますね。

教師に向いていないのか・・・

教員時代 生徒に舐められてしまうことがよくありました…

もともと性格が大人しくて臆病
虚勢を張ってもすぐ見抜かれてしまう

そして、人間性もまだまだ未熟~

そんな私は特にヤンキーなコ達には明らかに舐められ、教室も荒れ始めザワザワと落ち着かない状態になっていきました。

そんな状況のときは他にも舐められている先生
授業が騒がしく生徒に指導できない先生がいると

少しほっとしていました…

良くない心境だとは思いながらきちんとできていないのは自分だけではない

指導力がないと攻撃されるエネルギーがこっちだけに向かわず逸れてくれる

と思う心の動きがありました。

この苦しいキツい状況をどうにかしなければ

なんとか抜けたいと

擦り切れそうな心が必死に足掻いていました。

グルグル思考から逃れるために…

休職していた当時はとにかく不安と焦燥感で落ち着かない気持ちが沸き起こってきていました。

何をしていても心が落ち着かず
焦る気持ちで これからどうすればいいのかと
頭の中をぐるぐるぐるぐる

ネガティブな考えがよぎっていました・・・

もしくは、何もする気がしないのでグッタリしているか

自分の状態をどうしようもないと感じて責めてばかり

この自分を責めるのが苦しくて

グルグル思考から逃れたくて

なんとか考えないようにと足掻いていました。

当時 話題になった脳トレを買ってやってみたりもしました。

いちおう脳を鍛えているんだから意味があるだろうと思うことができたので、おもしろくはありませんでしたが、一日のうちの一時間くらいは潰れた気がします。

他には漫画喫茶

藤山 勇司さんという方が書かれていたうつ病体験の本で
【喫茶店でマンガを読むことで思考力が回復していった】
という記述があったので、休職してから2年目の冬にはマンガ喫茶に通ってみました。

先が見えない暗闇の中でいろいろやっていました。

マンガ喫茶でうつを癒す…

うつ病で休職して2年目の頃夕方にマンガ喫茶に2時間くらい通っていました。

昼くらいまで起き上がれなくて、昼過ぎに軽く食べてうだうだした後に気を紛らわすためにマンガ喫茶に行っていました。

読んでいたマンガは、

・代紋エンブレムTAKE2
・なには友あれ
・ベルセルク
・静かなるドン
・バガボンド
・あずみ
・ビーバップ・ハイスクール
・ホムンクルス
・はじめの一歩
・イニシャルD

などなど

ヤングマガジン系が多かったですね。

もともとマンガが好きだったのもあったのか、その時期にはマンガに集中しているときはグルグルしなくて済みました。

ただ毎日のように通ったので一か月くらいで読むマンガがなくなってしまい、二か月目からは同じマンガをもう一度最初から読み返すという苦しい戦いを強いられていました・・・

何度も読んで、もう読むマンガないよって感じでしたが。。。

世間からの取り残され感・・・

休職し、休み始めた当初は多少友人との関わりがありました。

けれども、人に会う気力が起きないし、電話したりメールする気も起きなかったので昔からの友人と連絡を取らなくなっていきました…

こちらから連絡することはないし、メールをくれてもまともに返信できないので友人達とどんどん疎遠になり次第に孤独感を強めていきました。

家族といっしょの家に住んでいましたが、

自分は一人ぼっち

世間から取り残されて

誰にも必要とされていない

そんな思いを強くしていき

真っ暗闇な絶望の中にいる

そんな感じでした

うつから回復していく過程で以前の友達とまた連絡を取れるようになり、いっしょに遊びに行ったり飲みに行ったり笑ったりできるようになりました。

友達に当時のことを聞いてみたら、

『本当に状態が悪そうで、見ていて辛く、どう関わっていいのか分からなかった』

と話してくれました。

「あぁ  そうだったのか

まぁ   そうだよな・・・

あんな状態の人を見たら  そう思うよな」

友達がほしい・・・

うつで休職している当時、私は実家にひきこもり何もする意欲が湧かずただ横になっていることが多かったです。

頭が重く
身体もダルく
不安と焦燥感

世間から取り残されたような誰からも相手にされない孤独感がどんどん募っていきました…

二年間のひきこもりを経て、なんとか良くなりたいと動きだしてから名古屋のコーチングスクールに通う縁ができました。

コーチングのセッションとは、

・何がしてみたいですか?

・どんな状態になりたいですか?

・何でも思いが叶うとしたら何がほしいですか?

というような質問をする中でその人が本当に望んでいる状態を明確にして進んでいくコミュニケーションセッションですが、

当時の私から先ずでてきた言葉は

『友達がほしい』

でした。

そう   心の交流ができる友達がほしい

というのがそのときの私の魂の声でした〜

そして、嬉しいことにそのコーチングのスクールで何人かの友達ができました。

ソウルメイトかは分かりませんが、心の深いところを話せる友達ができたのも私のうつからの回復をバックアップしてくれました。

コーチングスクエアに感謝しています☆

「教員辞めたことを後悔したことはありませんか?」

カウンセリングにいらっしゃったクライアントさんとお話していると、たまに

「大岳さん 先生辞めたことに対して後悔したことはありませんか? 」

と訊かれることがあります。

わたしの返答は~

『後悔したことはありません』

なぜならば、

【 我 事において 後悔せず 】

が座右の銘だからです

・・・

ちょっと宮本武蔵をマネしたくなりました(^^;

真面目に回答すると、確かに教員はそれなりに社会的地位もあるし給与も結構いい

公務員という安定した職業でもあると思います…

でも、

わたしは公立学校 (私立もか?)という場所が合わなかった

向いていなかった

と感じております。

本当は教員になる前から分かってはいたはずなんですが、当時はそのことはスコトーマ(盲点)に入ってしまっていました。

逆に、

今の仕事 今のスタイルは

向いていると思います。

なので、

教員を辞めたことに対して全く後悔していません。

そして、デパート辞めたことも全く後悔しておりませんです☆

これで最後かと思うと~

珈琲を飲みながらふと感じるのですが~

もう残り少ないと感じると味わい方が変わってくる

私は五年以上働いた仕事を2回辞めています。

一つはデパート
一つは教員

どちらともの仕事で感じていたのはしんどい、苦しいという思いでした。

もちろん、すべてが苦痛ばかりというわけではなかったのですが、やはり苦しいという思いが大半でした…

あれほど苦痛に感じていたこの仕事が会社が、

退職する
辞める

となった最後の一か月は

「これで終わりか」

と思うと妙に感慨深い感じがして少し愛着が湧いてきたりしました。

これで最後かと思うと感じ方が違ったりしますね♪

自信と自己肯定感について解説しています

 

うつ病・抑うつ状態でお困りの方やお仕事を休職中の方向けのカウンセリングについてもっと知りたい方はこちらのページにてご案内しております。

Googleマップの口コミ

大岳カウンセリング.room
4.3
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K M
K M
05:29 19 Nov 22
恋愛関係の悩みから、自身にACの傾向があるとわかり、大岳先生にお世話になりました。対話を通して、今の考え方の元になっている過去の体験、そしてそのときの自分の捉え方に寄り添っていくカウンセリング方法が自分にはとても効果的でした。こういう風に捉えていたんだと認識できたことで、とても心が軽くなりました。また、今の自分の考え方がどうして生まれているのかがわかったことで、自分で不安や悩みに対処することができるようになりました。カウンセリングを通して、怒りや恐れなどの負の感情にもプラスの面があるのだと理解できたことが一番の収穫でした。自分の状態がモニタリングできるようになったため、また心の不調に陥ってしまったときがもしあったときにはカウンセリングを受けたいと思います。星4の理由は、1年半ほど前にも3回ほど通っていたのですが、その時期の記録がなくなってしまっていたようでした。1年半前に数回だけだったので、仕方ないとは思いますが、少し悲しかったです。カウンセリング手腕への信頼があり、カウンセリングの効果はしっかりとあったため、星4にしました。
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※当サイトに掲載されているクライアントさまのご感想・事例は個人の体験談になります。
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