名古屋の心理カウンセラー・公認心理師 大岳龍昇
こんにちは。
大岳カウンセリングの大岳龍昇です。
私は元公立中学校教員です。
教員として勤務していた頃、うつ病を発症し、3年間の休職を経験しました。
「早く元の自分に戻らなければ」と焦る一方で、思うように回復せず、将来への不安や自己否定に苦しんだ時期がありました。
その経験を通して心理療法と出会い、少しずつ自分自身と向き合うことで回復への道を歩むことができました。
この経験が、現在のカウンセラーとしての原点になっています。
現在は公認心理師として、16年以上にわたり1,300名以上の方のご相談をお受けし、一人ひとりの人生に寄り添いながらカウンセリングを行っています。
≪ 主に、次のようなご相談をお受けしています ≫
- うつ病・適応障害
- 愛着障害
- 恋愛依存
- アダルトチルドレン
- トラウマ(感情のケア)
- 夫婦・パートナーシップ
など、人間関係や生きづらさに関するご相談です。
私は、症状や目の前の問題だけを見るのではなく、その背景にある愛着や心の傷つき、人との関わり方まで丁寧に整理し、安心して人と関われる土台を育てることを大切にしています。

公認心理師登録番号:第33577号
本名:纐纈 岳洋
大岳龍昇はカウンセラーネームです。
公認心理師は、心理支援に関する国家資格です。
詳しくは厚生労働省のHPをご確認ください。
私自身の家族関係と向き合った経験
両親とともに∼ 母の古希祝いにて
私自身も、父との葛藤や家族関係の苦しさに長く向き合ってきました。心理療法を通してその背景を整理する中で、少しずつ穏やかな関係を築けるようになりました。この経験も、現在の愛着や家族関係のカウンセリングにつながっています。
『心のヘルプケア;心理カウンセラー大岳龍昇(おおたけりゅうし
▼ 経歴
1994年 高知大学 人文学部史学専修 卒業
東京都内百貨店にて販売・営業職として7年間勤務
東京都公立中学校教員として勤務
在職中にうつ病を発症し3年間休職
心理療法との出会いをきっかけに回復
椎名ストレスケア研究所にてカウンセラーとして勤務
2010年2月
大岳カウンセリング 開設
現在に至る
カウンセラーになった理由
うつ病を経験したことで、私は「症状だけを改善すること」と「安心して生きられるようになること」は必ずしも同じではないことを実感しました。
仕事に復帰できても、人間関係が苦しい。
恋愛では同じことを繰り返してしまう。
人の顔色ばかり気になってしまう。
頑張っているのに、生きづらさだけが残っている。
そんな状態の背景には、幼少期からの愛着や自己否定、人との関わり方が影響していることも少なくありません。
だから私は、目の前の症状だけではなく、「なぜ今こんなにも苦しいのか」という背景まで一緒に整理し、その方に合った回復への道筋を考えることを大切にしています。
大切にしていること
私は16年以上カウンセリングを続ける中で、一つ確信していることがあります。
それは、
人は「変わらなければ幸せになれない」のではなく、「安心できる」と自然に変わっていく。
ということです。
だから私は、無理に変わることを求めるのではなく、
安心して話せること。
安心して感情を感じられること。
安心して人と関われること。
そんな土台を一緒に育てていくカウンセリングを目指しています。

| 心理カウンセラー
大岳 龍昇 |
- 公認心理師(国家資格)
- 中学校教諭一種免許状(社会)
- 高等学校教諭一種免許状(地理歴史)
- NLPマスタープラクティショナー
- 上級NLPセラピスト
- RFTプラクティショナー
- RFT基礎コース インストラクター
最後に
もし今、
「誰にも分かってもらえない」
「何をしても苦しい」
「同じことで何度も悩んでしまう」
そんな思いを抱えているなら、一人で抱え込まずにご相談ください。
これまでの経験と、公認心理師として積み重ねてきた知識や技術をもとに、あなたに合った方法を一緒に考えていきます。
あなたが安心して自分らしく生きられるよう、心を込めてサポートいたします。
お客様の声・クライアント様の感想はこちらからご確認いただけます。
鬱からの回復に向かって~休職からの社会復帰
休職してしばらく経ったころ 当時 東京に居た私は早起き心身医学研究所(うつ散歩療法)に通ってなんとか教員の仕事に復帰したいと焦燥感でいっぱいでした・・・
(良くならなかったなぁ)
そこで知り合ったうつ友達2~3人でお昼ご飯をいっしょに食べた後恵比寿から明治神宮まで歩くことがちょこちょこありました。
食欲もなかったから少ないランチを注文してぼそぼそと
あの薬はこうだ
この薬はぜんぜん効かない
とか話をしていました。
当時は状態が最悪だったので歩くのも苦痛で苦しかったのですが、なんとか良くしたいという思いで朦朧としながら明治神宮までの道程を休み休み身体を動かしていました。
( みんな表情暗かったなー )
希望がない感じでした・・・
そのうちの一人とは今でも付き合いがあっていっしょに鬱をくぐり抜けた戦友といった感じになれたんですけれど。
教員への復帰を目指して足掻いていた東京での生活を手放し、完全に療養に専念するためアパートを引き払い実家にもどった私は2年間はひきこもりのような状態でした。
といっても家から出れないわけではなく、散歩やコンビニなどにはちょこ ちょこっと出ていました。
マンガ『ツレがうつになりまして~』を読んで~ ツレさんが神社への参拝をしていたのを知ってからは、真似をして神社参拝を目的に散歩を試みるようになりました。
あるとき弟が神社までの散歩に付き合ってくれましたが、私の歩みが相当に遅かったらしく
『早くは歩けんか…』
と話したことを覚えています。
身体が重い すぐ疲れて
足をひきずるように歩いていました。
ただ、歩くだけでもしんどかったな…
最近 元気になってきたクライアントさんが、嬉しそうに話してくれました。
『階段をトントンと駆け上がれるようになりました。
前は動くのも苦しくて身体が重くて…
最近は階段を駆け上がれる
そのことが嬉しくて
意味もなく上ったり下りたりしています♪』
そう
身体が重かった
両足をひきずるように歩いていたんだよね。。
今は身体が楽に動く 感謝です☆
鬱のはじまり
私はいつから状態が悪くなったのだろう
~鬱になっていったのだろう~
と振り返ってみると先ず思いつくのが中学3年生の夏休みです。
中学時代、水泳部だった私はプールでの競泳は好きではありませんでしたが、真面目なタイプだったのでけっこう一所懸命部活をしていました。
当時、私の中学校では(愛知県はどこでもそうだったのか)校則がめちゃめちゃ厳しく、男子生徒は丸刈りで部活は強制入部部活に行っていないのはヤンキーの不良生徒のみというような感じでした。
良い子を装っていた(?)私は、当たり前のように真面目に部活をやっていました。
とくだん速く泳げるほうではありませんでしたが、ちゃんと練習はしていたので体力はあったほうだと思います。
中学3年の夏休みの最後の大会が終わると部活への参加が免除されるようになりました。
【受験に集中しなさい】ということで部活動への参加は任意になったのです。
途端にパタっと部活に行かなくなりました
もともと好きではなかったのでしょう
そして、家でだらだらと過ごすばかりになっていきました・・・
受験のプレッシャーも感じていたのでしょう
勉強しなければいけない、でもやる気が起きない
という感じでよく横になっていました。
もう ちょっと鬱っぽかったですね…
今思えば部活に出ているときは身体を動かさざる負えなかったのでアップタイムに出ていた。
~悩んでいる暇がなかった~
身体を動かしていたので血流も良かった
あと話下手ではありましたが、部活に行けばそれなりに同級生や後輩達との交流・コミュニケーションもあったのでメンタルを保てていたのでしょう
やはり、身体を動かすこととコミュニケーションは重要ですね。
夏休みは落ちていましたが、2学期は高校受験に取り組もうと気を引き締め直して、なんとか気分が持ちなおしました。
おそらく まだ、勉強がついていける 理解できるというレベルだったから持ちなおせたのだと思います。
ところが、高校に入ってからがガクンと落ちました
暗~い高校時代。。。
中学3年夏休みの鬱々した状態をなんとか切り替えれた私は、目標にしていた地元の進学校にギリギリラインで合格できました。
地域一番校に合格してプライドが満たされたのも束の間
入学早々~ 一時間目の英語の授業(グラマー文法の授業でした)から内容が理解できないことに衝撃を受けました!!
中学ではそこそこ勉強ができるという自負がありましたが、高校の授業は得意だった国語・社会系もふくめほとんどが理解できませんでした。
学校の授業がわからないという苦痛を味わうとともに勉強ができることによって支えられていた私のペラペラのプライドはもろくも崩れさってしまいました…
高校では部活も何もやりたいものがなく、水泳部に入部したものの何となく部員の人達に馴染めずにすぐに行かなくなりました。
クラスで気の合う友達ができる訳でもなく、いじめられているとかではないけれど孤立した疎外感を常に感じていました。
特にキツかったのは文化祭とか修学旅行などのイベントです。
いっしょにまわる友達や班に入れてもらえる人達がいない…
自分がどこかに所属している
誰かとつながっている
感じがしなくて
どんどん学校へ行く気がなくなっていきました
二年生半ばから三年生になると共働きの両親が仕事に出かけた後に『体調が悪い』と仮病を偽りよく学校をさぼるようになり、家でだらだらと横になる時間が増えていきました。
その当時は分からなかったですが、実は仮病ではなく鬱病だったんですね・・・
大学受験のプレッシャー
学校を休むことが多くなり何もする気がしないためゴロゴロする時間が増えていきましたが、
そのためか大人になってからも赤点が重なり進級がヤバいという感じの夢や体育の出席時間が足りなくてあわや留年か!?という夢や出席日数、単位が足りなくて卒業できない〜 という夢をよくみました。。。
勉強は本当に進まなかったけど、大学に行くのは当たり前 と思っていました。
運が良かったのか 受験した私立大学は全て滑りましたが、一つだけ国立の高知大学が受かりました。
今思えば、あんな状態でよく受かったな
という感じですが…
プライドだけがやたら高かった私は、 「早稲田、慶應じゃなきゃヤダ!」 みたいな妄想を膨らませていました。
それに対しては父が、
『おまえは浪人に向かないからここで大学へ行っておいた方がいい』
と断言したことによって高知大学に進学することになりました。
当時は不満もありましたが、結果的にそれはとても良かったと思います。
浪人していたら勉強できず、完全なうつ状態になっていたものと推測します…
【何かプレッシャーがかかると状態が悪くなる】というパターンを繰り返していたのですが、
自分の好きなこと、楽しいと感じることに取り組めていないという在り方がこの状態を招くベースになっていたのでしょう。
大学時代はOK!
からくも高知大学に引っ掛った私は、『東京へ行きたかった』という思いを抱えながらも高知へ向かいました…
父の選定で住むところは大学の集団学生寮に決められました。
小綺麗なワンルームマンションで一人暮らしが希望だったのですが、あっさりと否定され薄汚れた二人部屋の男子寮に入寮しました。
しかし、この高知大学南瞑寮での集団生活で同じ年に入寮した同期生達と濃密なコミュニケーションを交わすことになりました☆
同期の寮生のほとんどは貧しく、イケてなく、女っ気もありませんでしたが、幸運なことに(?) イケていなかった私はそんな彼らととても相性が良く、それまでの20年の人生において初めて友人に恵まれた時期を過ごすことができました。
大学の広場で 寮の部屋や食堂・喫茶店や帯屋町の商店街で
常に人生とは何か
生きることの意味は 存在しているとはどういうことか
哲学的、思想的な議論やコミュニケーションを交わしていました~
いわゆる合コンやサークルのコンパなどとは縁のない普通の大学生の生活とはかなり異なった生活を送っていたと思います。。。
最近では大学で友達がなかなかできないということでメンタルが落ち込み、休学する学生さんが増えていたりしますが、相部屋の集団学生寮での生活はイヤがおうでもコミュニケーションを取らざるを得なかったのでそこが逆に良かったのでしょう。
この大学の4年間の生活はとても濃密でわたしの人生のベースになっています。
しかし、この濃密な4年間が大学を卒業して上京し、社会に出たときに大きな落差として苦労することにもなりました…
『汚れちまった悲しみに』
汚れっちまった悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れっちまった悲しみに
今日も風さえ吹きすぎる
汚れっちまった悲しみは
小雪のかかってちぢこまる
汚れっちまった悲しみは
懈怠のうちに死を夢む
汚れっちまった悲しみに
なすところもなく日は暮れる……
(中原中也『山羊の歌』より)
大学生の頃わたしがもっとも影響を受けたNくんがよく口にしていた中原中也の詩です。
Nくんは詩人という生き方を僕らによく語って聞かせてくれました。
哲学をガンガンに学び自身も詩人のように生きようとしていたとても変わっていて 魅力的な友人でした。
その彼の講義 【汚れちまった悲しみ】
みんなで彼の話を聞いていたときに
【汚れちまった悲しみ】 とは
自分が汚れてしまったのが悲しいのか
悲しみが汚れてしまったのか
どっち?
という話になりました
Nくんは
【悲しみが汚れた】 のだと教えてくれました
誰かの悲しい出来事や思いを聞き
自分も悲しくなる 悲しいと感じる ・・・
しかし、
しばらくすると人はご飯を食べたり 談笑したりして悲しいと感じたそのことを忘れたりしている時間がある
そして、
そんな時間が増えていく
それはとても正常な心の働きであり
その働きがあるから人はまともでいられるのだけれど
詩人という人種はその悲しみをいつも抱えているのだ
という解説でした。
【汚れちまった悲しみ】
ある意味 Nくんも中也もものすごくメンタルを病んでいたんだろうか
そんなふうに感じる心は病んでいると言えるかもしれないけれど
だからこそ、
後世に残るような表現を
紡ぎ出すことができるのだとも言える
ゴッホも宮沢賢治もそうだったんだろうな
暗い話だと感じたりもしますが、わたしは今でもたまにこういう系の話をするのが好きです☆
大学のときは毎日こんな話ばっかりしていました(笑)
けっこう明るかったけどね社会人になってからと違って♪
社会人の人間関係~
バブルが崩壊して1つ上の先輩達から就職が厳しくなり、私の代も結構キツい就職活動を強いられましたが、運良く(?)私はデパートに入社することができました。1994年入社になります。
特にデパートで働きたかったわけでもなかったのですが、自己アピールをかなり膨らませての入社だったので後々凄く苦労することとなっていきます・・・
デパートに入社して社会人になると人間関係は一変しました~
まわりの人達 販売員の女のコであったり 先輩であったり 上司であったり そんな日々接する人達に、
『生きてる意味って … 』
みたいな感じを匂わせようものなら
「暗っ!」
という反応が返ってくるので本音を話す場が 人がいなくなってしまった感じでした・・・
みんな表面的な上っ面だけのコミュニケーションを無意味に交わしているように感じて
そんな関係に馴染めなくてもの凄く孤立した疎外感と離人感を感じて苦しくて仕方がありませんでした…
今思えばそのような表層的に思えるコミュニケーションにも深い意味があると思いますが当時は本当に馴染めなくて苦しかったです。
そう考えると現在、プライベートの場で
『仕事はカウンセラーをやってます』
と自己紹介すると たまに人から
「悩みや重い話を聞くのって大変じゃないですか?」
と言われることがありますが、
そう質問される方が思うような大変さを感じていない自分がいて
『そんなに大変でもないんだけどどうしてなのかな~? 』
と考えていたら
そう!
俺は重い話をするのが好きだからだ!!(笑)
という気付きがありました^^
悩んで 苦しんでいる
というのはそれだけ人生に真剣に向き合っていて
考えに考えているから 悩むのであって
表層的なコミュニケーションを得意とする人達(右脳タイプ)からすると
「 重い~ 、暗い~ 」
と言われるようなコミュニケーションがわたしにとっては濃密で意味のあるコミュニケーションだったのだと
そんな質問をしてもらったことによりあらためて理解ができました。
軽いコミュニケーションがだめで 重いコミュニケーションがいいとかは全然ないのですが、自分はそういうタイプなんだよなぁと妙に納得できて腑に落ちたという感じです。
身体がダルくてダルくて・・・
デパートで働いていた20代の頃~
仕事中に身体がダルくてダルくて仕方がないことがよくありました…
しんどくてトイレで5分、10分うずくまっていました。
早めに売場にもどらなければいけないので、なんとかもどってまた接客という感じでしたが、とにかく何もせず突っ立って待っているというのが苦痛で苦痛でたまりませんでした。
もちろん、イヤな仕事 好きじゃない仕事だったからというのもあったのでしょうが、当時ももう鬱だったのかもしれません 。。。
売場から外商~外回りの営業になっても身体がダルいことがよくありました…
よく営業車を止めてシートを倒してグッタリと横になっていました。
神社の駐車場の木陰とかに車を止めていました。公園横の道路脇も多かったですね。
東京都内担当の営業マンは一人一台営業車が与えられていなかったので、
車のないときは営業に行くふりをして山手線に乗り、シートに腰掛けグタっとしていました。山手線を一周まわるとだいたい一時間グタっとできました。
やはり、
もう鬱だったよなぁ…
職場で感じていた不安 ~将来への不安で病む~
鬱もそうですが、メンタルを病んでいく方の特徴として自分の将来をイメージして不安を高めていくという傾向が強いと感じます。
仕事をする中でこの業務をしていて10年後、20年後 自分は何か確固たるものが身についていてやっていけるのだろうか
職場の中で年齢的に上になったときに人に指導するようなことができるのだろうか
職場やまわりから必要とされる人材になっていれるだろうか
将来におけるネガティブなシュミレーションを頭の中で繰り返し、自分に重いダメージをどんどん与えていってしまいます。
私の場合だとデパートで働いていたときは 売り場であれば、
自分に売り場係長の職責がこなせるんだろうか
仕入れバイヤーのような業務ができるのだろうか
と不安になっていましたし、家庭外商という営業部に配属になってからは、
あと10年20年 へこたれずに毎年毎月売上予算をこなしていけるのだろうか
この先勤めていったら外商課長として課の担当員をまとめ売上予算を達成するということができるのだろうか
と怖くなって不安を高めていました。
教員になってしばらくは倍率の高い採用試験に合格した高揚感から不安を忘れていましたが、3年経った頃から
担任としてちゃんとやっていけるのだろうか
それなりの年齢になったときに、
学年主任なり生徒指導主任なり教務主任なりの男性教員が一人前としてまわりから期待される役割をこなしていけるのだろうか
という不安と恐怖がありました。それは、逆から見ればまわりから
あいつは役に立たない
あいつは使えない
と見られることへの恐怖と表裏一体だった気がします・・・
頭の中でそんなシュミレーション、不安をグルグルまわしてしまうことはメンタルを悪くする大きな要因だったと思いますが、
このような不安や焦りをいかに切り替えていくかが、メンタルの状態を健康に保つポイントになりますね。
教師に向いていないのか・・・
教員時代 生徒に舐められてしまうことがよくありました…
もともと性格が大人しくて臆病
虚勢を張ってもすぐ見抜かれてしまう
そして、人間性もまだまだ未熟~
そんな私は特にヤンキーなコ達には明らかに舐められ、教室も荒れ始めザワザワと落ち着かない状態になっていきました。
そんな状況のときは他にも舐められている先生
授業が騒がしく生徒に指導できない先生がいると
少しほっとしていました…
良くない心境だとは思いながらきちんとできていないのは自分だけではない
指導力がないと攻撃されるエネルギーがこっちだけに向かわず逸れてくれる
と思う心の動きがありました。
この苦しいキツい状況をどうにかしなければ
なんとか抜けたいと
擦り切れそうな心が必死に足掻いていました。
グルグル思考から逃れるために…
休職していた当時はとにかく不安と焦燥感で落ち着かない気持ちが沸き起こってきていました。
何をしていても心が落ち着かず
焦る気持ちで これからどうすればいいのかと
頭の中をぐるぐるぐるぐる
ネガティブな考えがよぎっていました・・・
もしくは、何もする気がしないのでグッタリしているか
自分の状態をどうしようもないと感じて責めてばかり
この自分を責めるのが苦しくて
グルグル思考から逃れたくて
なんとか考えないようにと足掻いていました。
当時 話題になった脳トレを買ってやってみたりもしました。
いちおう脳を鍛えているんだから意味があるだろうと思うことができたので、おもしろくはありませんでしたが、一日のうちの一時間くらいは潰れた気がします。
他には漫画喫茶
藤山 勇司さんという方が書かれていたうつ病体験の本で
【喫茶店でマンガを読むことで思考力が回復していった】
という記述があったので、休職してから2年目の冬にはマンガ喫茶に通ってみました。
先が見えない暗闇の中でいろいろやっていました。
マンガ喫茶でうつを癒す…
うつ病で休職して2年目の頃夕方にマンガ喫茶に2時間くらい通っていました。
昼くらいまで起き上がれなくて、昼過ぎに軽く食べてうだうだした後に気を紛らわすためにマンガ喫茶に行っていました。
読んでいたマンガは、
・代紋エンブレムTAKE2
・なには友あれ
・ベルセルク
・静かなるドン
・バガボンド
・あずみ
・ビーバップ・ハイスクール
・ホムンクルス
・はじめの一歩
・イニシャルD
などなど
ヤングマガジン系が多かったですね。
もともとマンガが好きだったのもあったのか、その時期にはマンガに集中しているときはグルグルしなくて済みました。
ただ毎日のように通ったので一か月くらいで読むマンガがなくなってしまい、二か月目からは同じマンガをもう一度最初から読み返すという苦しい戦いを強いられていました・・・
何度も読んで、もう読むマンガないよって感じでしたが。。。
世間からの取り残され感・・・
休職し、休み始めた当初は多少友人との関わりがありました。
けれども、人に会う気力が起きないし、電話したりメールする気も起きなかったので昔からの友人と連絡を取らなくなっていきました…
こちらから連絡することはないし、メールをくれてもまともに返信できないので友人達とどんどん疎遠になり次第に孤独感を強めていきました。
家族といっしょの家に住んでいましたが、
自分は一人ぼっち
世間から取り残されて
誰にも必要とされていない
そんな思いを強くしていき
真っ暗闇な絶望の中にいる
そんな感じでした
うつから回復していく過程で以前の友達とまた連絡を取れるようになり、いっしょに遊びに行ったり飲みに行ったり笑ったりできるようになりました。
友達に当時のことを聞いてみたら、
『本当に状態が悪そうで、見ていて辛く、どう関わっていいのか分からなかった』
と話してくれました。
「あぁ そうだったのか
まぁ そうだよな・・・
あんな状態の人を見たら そう思うよな」
友達がほしい・・・
うつで休職している当時、私は実家にひきこもり何もする意欲が湧かずただ横になっていることが多かったです。
頭が重く
身体もダルく
不安と焦燥感
世間から取り残されたような誰からも相手にされない孤独感がどんどん募っていきました…
二年間のひきこもりを経て、なんとか良くなりたいと動きだしてから名古屋のコーチングスクールに通う縁ができました。
コーチングのセッションとは、
・何がしてみたいですか?
・どんな状態になりたいですか?
・何でも思いが叶うとしたら何がほしいですか?
というような質問をする中でその人が本当に望んでいる状態を明確にして進んでいくコミュニケーションセッションですが、
当時の私から先ずでてきた言葉は
『友達がほしい』
でした。
そう 心の交流ができる友達がほしい
というのがそのときの私の魂の声でした〜
そして、嬉しいことにそのコーチングのスクールで何人かの友達ができました。
ソウルメイトかは分かりませんが、心の深いところを話せる友達ができたのも私のうつからの回復をバックアップしてくれました。
コーチングスクエアに感謝しています☆
「教員辞めたことを後悔したことはありませんか?」
カウンセリングにいらっしゃったクライアントさんとお話していると、たまに
「大岳さん 先生辞めたことに対して後悔したことはありませんか? 」
と訊かれることがあります。
わたしの返答は~
『後悔したことはありません』
なぜならば、
【 我 事において 後悔せず 】
が座右の銘だからです
・・・
ちょっと宮本武蔵をマネしたくなりました(^^;
真面目に回答すると、確かに教員はそれなりに社会的地位もあるし給与も結構いい
公務員という安定した職業でもあると思います…
でも、
わたしは公立学校 (私立もか?)という場所が合わなかった
向いていなかった
と感じております。
本当は教員になる前から分かってはいたはずなんですが、当時はそのことはスコトーマ(盲点)に入ってしまっていました。
逆に、
今の仕事 今のスタイルは
向いていると思います。
なので、
教員を辞めたことに対して全く後悔していません。
そして、デパート辞めたことも全く後悔しておりませんです☆
これで最後かと思うと~
珈琲を飲みながらふと感じるのですが~
もう残り少ないと感じると味わい方が変わってくる
私は五年以上働いた仕事を2回辞めています。
一つはデパート
一つは教員
どちらともの仕事で感じていたのはしんどい、苦しいという思いでした。
もちろん、すべてが苦痛ばかりというわけではなかったのですが、やはり苦しいという思いが大半でした…
あれほど苦痛に感じていたこの仕事が会社が、
退職する
辞める
となった最後の一か月は
「これで終わりか」
と思うと妙に感慨深い感じがして少し愛着が湧いてきたりしました。
これで最後かと思うと感じ方が違ったりしますね♪
自信と自己肯定感について解説しています
Googleマップの口コミ

人間関係で悩み、まず電話相談をしました。
先生とのワークを通じて、親からの影響が根強いことや、自分で蓋をしている感情に気付き、生きづらくなっている要素がだんだん見えてきました。
どんな感情も大事な力を持っていると教えてもらいました。そこから少しずつですが自分がどんな感情をもってもまず受け止めてあげる、ということができるようになってきました。
言語化が苦手な私でもワークのときは先生が小さなこともキャッチしてくれて、納得いく言葉に辿り着くまで寄り添ってくれます。話すことが苦手な人も安心して通えると思います。
日常生活で気持ちが不安定になったときもLINEでアドバイスしていただき、落ち着くことができました。本当に感謝しています。
表面的に解決するものではないので時間はかかりますがすごく意味のあるものだと実感しています。
カウンセリングで得られる結果には個人差があります。







